ごきげんよう亀甲ウーマンです。
私は家でも外でも、夫への愛情表現を変えません。
誰に見られてても、見られてなくても、よく見つめ、肌に触れ、甘えたい態度をしてしまいます。
それは多分、他人から見たら『いい歳こいたおばさんが何やってるの?』と思うのかもしれない。
一応私の中ではTPOをわきまえている範囲だと思ってる。
声も発さないし、セクシャルな部位を触るわけではないし。
ただ、その熱い視線はなんらかのエネルギーを発しているようで、男女問わずよくジロジロ見られる事もあるし、
私は気が付かないが、すれ違う女性から侮蔑的な、あるいは恐ろしく冷たい目線を向けられている事があるようです。
私はそれを全然気にしていなくて、逆にそんな女と一緒にいる俺を辱めているとは思わないのか、可哀想だと思わないのかと夫に言われる🤣
だけど、私は止められないのだ。
私はなんでそれを止められないのだろう。
それは私の中から湧き上がるパッションなのだ。
私は自分から湧き上がる愛の表現をしているだけだし、それを表現せずにはいられない。
それを我慢して生きる事ができない。
逆に言えば、それを表現させてくれる人でないと多分一緒に居られなくて、それも同じ性質の人では多分しっくりこなくて、
それは陰と陽のようなバランスなのだと凄く最近感じるのだ。
先月のかき氷屋さんでの出来事もそうだけど、多分、私ははたから見たら『頭のおかしい女』だとか、『いっちゃってる女』もしくは『勘違い女』とかそういう部類なのかもしれない。
たまにジーッと見てくる人もいて、『この人は一体なに?』と言う目線で見てくるのだけど、そういう時は吹き出しちゃう🤣
その反応を示す人が私のように、場所や、誰かが見てる見てない関係なく好きな人に好きだという態度をしたいかどうかは分からないけど、そう出来る人、やる人は少数派なのだと思う。
大人はそういう態度しちゃいけない、恥ずかしい、他人のそういうのは見たくない。
大人の美学みたいなものなのかしら?